*各巻の価格一覧    ※ご購入についてはこちら

福岡藩初期(上)(下)
 本書には、おおむね黒田氏の慶長5(1600)年筑前国入部以降、第二代藩主忠之の承応期までの福岡藩の藩主・家臣関係の史料を家分けで編集した。
 江戸時代、福岡藩によって編纂されたものは、家譜や地誌などについては大部のものをみるが、藩主・家臣の法令・書状類を網羅したものとしては、「黒田御用記」、「福岡明良啓藩志」などの小冊子のものしか見あたらない。本書によって、藩政初期の主要な史料を網羅的に利用する便宜が得られるようになったといえよう。
 頭注のほか、巻末に人名・地名の索引、編年目録、花押一覧を付して、史料の素早い検索と正確な利用が可能になるようにつとめた。研究者の間ではすでに本書を利用した論文も多くでてきており、各市町村史などにも利用されている。

三池鉱山年報
 三池炭鉱は古くから三池・柳河両藩によって藩営マニュファクチュアとして展開されて以来、日本最大の炭鉱としてわが国産業の発展に貢献してきた。
 同炭鉱は維新後の明治6(1873)年6月官収され、工部省鉱山寮の管轄の下に同年9月三池支庁が設置された。その後、工部省の廃止(明治18年12月)にともない同炭鉱は農商務省、ついで大蔵省へと転属し、明治22(1889)年1月1日付をもって三井組に払い下げられた。以後、三井のもとで経営された。
 「三池鉱山年報」は所轄官庁の「工部省年報」、「大蔵省年報」に対応する出先機関からの事業報告書としては稀有の史料である。同年報は官営期(明治6〜21年度)、第一次から第十七次まで編集されており、当時の三池炭鉱の全容を余すところなく伝えている。

農務誌・漁業誌
 明治11年から12年にかけて、福岡県は漁業・農業の実態調査をおこない、筑前・筑後・豊前の農法・漁法の慣行を調査し、農具を広く蒐集し、勧業行政の施策に反映させようとした。
 「農務誌」と「漁業誌」は、その結果として編まれたものである。「農務誌」はその付図、「漁業誌」は稿本および付図・付録(魚介類)が遺されている。本巻はそれらを復刻したものである。さらに本巻には、当時の農業・漁業の姿を伝えるものとして県内各地に残されている農耕・漁撈に関する絵馬を収録した。これらの付図・付録や絵馬は、多色刷りを多く用いて、できる限り原史料の姿を忠実に再現するようにつとめた。
 戦後の日本の農業・漁業は大きく変貌を遂げてきた。さらに大きな転換期を迎えようとしている現在、これらの史料のもつ意義はこれまで以上に大きなものになっている。

福岡藩(一)〜(四)
 本書には、通史を編纂する前提作業として、福岡藩に関する個別研究論文を収録した。個別の研究を進めて研究水準を高め、それを反映させながら通史を編纂することを目的とした。同時に通史編の記述内容をより詳細に知りたい場合には、個別論文に戻って検証することも可能である。
 第一巻は藩政・財政・農村・農業に関する論文13編、第二巻には都市商人、商品流通、交通、浦方などに関する10編、第三巻には政治史・社会経済史・宗教史・美術史・学芸史に関する16編、第四巻には学芸史・芸能史・社会経済史についての10編の論文を収録している。また、第二・四巻には福岡藩関係主要文献目録を付した。
 なお、『福岡県地域史研究』第12〜15号にも、おなじ趣旨から27編の論文で福岡藩の特集を組んでいる。

御當家末書(上)・(下)
 「御當家末書」は寛永9年に小倉15万石の大名となった小笠原氏にかかわる事蹟・系図などを編纂した史料である。編纂にあたったのは、江戸屋敷詰め系図方であった進五左衛門綱房であり、享和2年から文化2年にかけて編纂を進め、全15巻と余巻からなる本書を完成させた。
 諸記録類、諸書からの抄出、実際に作成した文書の控、聞書きなど、多様な記録からなる。系図方としての職務上の必要から、既存の正史類にもれた故事来歴をまとめようとしたものである。そのため、収録記事は当然に小倉時代以前の小笠原氏にもおよんでいる。
 内容は、小笠原家および一族の事蹟・系譜、幕府や寺社との関係、小笠原流として知られる礼式・弓馬兵法に関する記事などを中心とするが、それ以外にも小倉小笠原藩の藩体制整備、江戸屋敷の変遷、御家騒動など、藩政についての情報も含んでいる。

三潴県行政
 三瀦県は筑後全域を区画として明治4年11月14日に成立し、同9年8月21日に福岡県に合併されるまで存続した。
 本史料集は国立公文書館所蔵史料および地元の史料(布達類)を中心に、三瀦県に関する行政史料を収集・編纂したものである。
 全体は三部からなる。第一部には町村の改称分合、町村名に関する史料および職員等人事関係史料を国立公文書館、国会図書館所蔵史料、地元史料等から収録した。第二部には明治8年の三瀦県布達を恵利文書および鶴久二郎氏収集文書から編纂収録するとともに、『公文録』、『太政類典』から三瀦県関係史料を収集している。本巻の中心をなす第三部は、管内統計等に関する諸表および地租改正、秩禄処分に関する報告書類を公文書中から収集・収録したものである。  解題・解説は未収録史料も含めて、三瀦県行政史料の現状について詳細にふれている。

ムラの生活(上)・(下)
 福岡県では昭和54・55両年度に国の助成をうけて、県内150か所の地域を対象とする緊急民俗文化財分布調査を実施したが、この資料編はその際の調査票をもとに、調査時点の民俗事象を記録するために編纂したものである。
 当該調査は、総観、地区要図、住、食、衣、農業、漁業その他、運搬・交易、村落生活、家族生活、村落信仰、民間信仰、産育・結婚、葬制・墓制、年中行事の15項目にわたり、各地域に調査員を委嘱して実施された。
 県史に編纂収録するにあたっては、地域の概要とともに、前記の15項目の内容を地区別に記述することとし、上巻「筑前地方」と下巻「豊前地方」の二分冊とした。

東洋タイムス(一)〜(四)
 「東洋タイムス」は戦前官営八幡製鉄所の企業内組合「同志会」の機関紙であった。同紙は、大正9(1920)年2月の大争議終息後の六月に創刊され、大正12年10月の最終号第122号まで、旬刊として刊行された。
 同志会は、大争議前年の大正8年10月に発足した。組合の伍長層主導の「穏健」を旨とする組合で、両大戦間期の代表的企業内組合のひとつであった。
 「東洋タイムス」という紙名は、「東洋一の製鉄所の向ふを張って東洋と名称して而してタイムスと命じ」られた。その後、同紙は大正12年11月から月刊の後継紙「労働乃九州」へとかわった。
 戦前、ひとつの企業内組合の機関紙として長期間継続したところに史料としての「東洋タイムス」の価値がある。4冊に分け、写真版で刊行した。なお「労働乃九州」は(一)(二)が刊行されている。

綿糸紡績業
 明治期の福岡県に所在した綿糸紡績諸会社のうち、主として三池紡績および九州紡績に関する資料を収めたものである。その内容は、三池紡績に関しては各期の営業報告書、定款などの諸規則、販売関係の諸資料、経営陣(大村務・永江純一)の日記および備忘録、三会社(三池紡績・久留米紡績・熊本紡績)合併関係資料等。九州紡績に関しては営業報告書、定款、守山又三(大阪支店)事件関係資料、九州紡績・鐘紡合併関係資料にわたっている。さらに、三池紡績・九州紡績を通して経営の衝にあたっていた野田卯太郎、永江純一が受け取った紡績会社関係の書簡、両社に久留米紡績、博多絹綿紡績を加えた四社に関する新聞記事(広告を含む)集成をおさめた。その他、久留米紡績・博多絹綿紡績を含む全国の主要紡績会社の定款や営業規則等、これまで公刊されていない諸資料を加えて全巻を構成した。
 三池・久留米・九州・博多絹綿の四紡績会社の創立事情と経営の推移の概観と所収資料に関する解説を付している。

柳川藩初期(上)・(下)
 本史料集は天正15(1587)年、豊臣秀吉の九州国割によって柳川に入部した後、関ヶ原の戦いによる除封と、元和6年の柳川再封を経て、寛永19(1642)年に死去するまでの立花宗茂一代の柳川藩史料を家わけで編集したものである。
 従来、柳川藩政史料の編集は、『立花文書』全(立花寛治、大正3年刊行)、『柳川藩史』収録文書などの一部のものに限られていた。本書では各地に豊富に散在している史料の収録につとめ、収録した史料の所蔵先は約百か所にのぼった。柳川藩初期の史料を家分けで集成する試みはこれが最初のものである。
 下巻には解題を付し、柳川藩の成立と初期藩政の展開と、収録史料について述べた。このほか、花押・印章一覧、編年目録、人名・地名索引を付して網羅的に史料を利用できるように編集した。

農民運動(一)〜(三)
 戦前における福岡県の農民運動は、日本農民組合第一次分裂との関係、水平社運動との深い関わり、左派・右派・中間派のすべての系列の運動が存在したこと、さらに左派の拠点のひとつとしての全国農民組合福佐連合会の存在など、さまざまな点で興味深い。
 第一巻には、そのうち日農および1933年までの全農福佐連合会関係史料を収録した。史料源は、日農・全農総本部史料、旧協調会福岡出張所史料、伊東光次氏旧蔵史料(以上、いずれも法政大学大原社会問題研究所所蔵)、全農福佐連合全開係史料(同志社大学人文科学研究所所蔵)であり、これらの中の福岡県関係史料を網羅的に編年収録した。このような史料集は他に例がないと思われる。これらを通じて支部組織、争議、政治運動との関係など、運動の実態を明らかにすることができる。なお、解題は史料の書誌的情報をふまえながら、運動の通史的叙述にも配慮している。
 第二巻は、第一巻に引き続き、1938年までの全農福佐連合全開係史料を収録した。編集方針および史料源は第一巻と同様であるが、その後発見された木林善三郎文書から若干の史料を補った。この時期は左派系の運動の後退局面であるが、同時に激しい争議が発生した時期でもある。またこの時期には、福佐連合会の総本部への復帰や、中間派県連との合同問題、戦時期における運動の再編成、福佐連合会の解散と西日本農民組合の設立等、重要でありながら未解明の多くの問題が存在する。本巻は単に福岡県における事例にとどまらず、広く日中戦争期における運動の実態、運動指導者の意識等を考えるうえで手がかりとなる素材を提供すると思われる。
 第三巻は、全国農民組合福岡県連合会、および日本農民組合九州同盟会の関係史料を収録した。全農福岡県連は、田原春次らを中心とする豊前地方の運動と、吉塚謙吉、野口彦一を中心とする筑後農民組合が合同して1932(昭和7)年10月に結成されたもので、福佐連合会に対抗する全農総本部派の県連である。また日農九州同盟会は稲富稜人を指導者に福岡県内に独自の勢力を保持した右派系と目された組織である。戦前期の福岡県における農民運動の最大の特色は、一、二巻所収の福佐連合会を含め、これら三系統の運動がそれぞれに組織的実体をもって運動を展開したところにあるが、本史料集の刊行によって、はじめてそのような運動の総体をとらえることが可能となった。本巻は主として法政大学大原社会問題研究所所蔵の全国農民組合関係文書と、同所所蔵の協調会福岡出張所関係史料を中心に構成し、吉塚謙吉文書等の史料で補った。
 なお、山本作馬関係文書等の新出文書によって、一、二巻末収録の初期日農関係史料を、補遺として第三巻に収録した。

福岡藩町方(一)(二)
 本史料集は、中世からの商都博多の商家経営を知るうえで好個の史料である嶋井文書(300余点)と瀬戸文書(約500点)をおさめた。両家は博多の町家であり、嶋井家は戦国期から幕藩体制初期にかけて全盛期を迎え、いっぽうの瀬戸家は、藩政中期以降に栄えた商家であった。
 第一巻には嶋井文書(嶋井家所蔵)のうち、秀吉の朱印状をはじめとする書状類、嶋井宗室関係の遺訓・年譜・由緒書、博多糸割符関係文書をおさめた。瀬戸文書は町奉行書付、由緒書、系譜、福岡藩の長崎警護のための石火矢地銅に関する史料(瀬戸家所蔵)、博多の町方史料、および同家の商工業に関する史料(九州大学経済学部所蔵)をおさめた。なお、嶋井文書に残る欧文文書には翻訳を付している。
 第二巻には、嶋井文書のうち日用仕組や家督相続関係、町役所の達類等の史料を、また瀬戸文書からは証文類をおさめた。

福岡農法
 本史料集は、近代日本における農業発展基礎であり、「原点」ともいわれた福岡農法の実態を明らかにすることを目的に編纂したものである。第一編「福岡農学校関係」、第二編「螟虫駆除法関係」、第三編「大日本農会福岡支会報告」、第四編「農談会関係」、第五編「馬耕関係」にわけて編纂した。
 乾田牛馬耕と、それに付随する技術体系としての福岡農法の普及が、近代日本農業発展の重要な契機であったことが従来から強調されながらも、その実態を明らかにしてくれる資料をコンパクトに手に入れることは困難であった。今回その資料を提供できたことは、今後の近代日本の農業史研究にとって、ひとつの貢献といえるであろう。

筑豊石炭鉱業組合(一)(二)
 筑豊地域は日本最大の産炭地であった。筑豊石炭鉱業組合は筑豊地域の炭鉱業者の同業者団体で、明治18年に設立され、昭和9年に財団法人筑豊石炭鉱業会に改組された。本史料集はこの筑豊石炭鉱業組合の総会決議録、常議員会決議録、および関連史料を復刻したものである。
 第一巻には「通常臨時総会決議録」(明治26年〜同44年)、「総会決議録」(大正元年〜昭和9年)、「常議員会決議録 四」(明治40年〜同43年)、「常議員会決議録 五」(明治44年〜大正2年)、参考資料として組合予算書を収録した。第二巻には「常議員会決議録 七」(大正5年〜同7年)、「常議員会決議録 八」(大正8年〜同10年)、「常議員会決議録 九」(大正11年〜同12年)、「常議員会決議録 十」(大正13年〜同15年)を、また参考資料として、組合規約を収録した。それぞれの巻に解題を付した。

福岡県地理全誌(一)〜(六)
 「福岡県地理全誌」は明治5年、陸軍省の「全国地理図誌」編集の命を受け、旧福岡県(筑前15郡)が明治5年から7年にかけて調査し、5年から13年にかけて編集した郡村地誌である。
 東京大学史料編纂所所蔵の148冊の和綴原本、北九州市立八幡図書館所蔵の巻首提要1冊、国立公文書館所蔵の附図の16帖をすべて写真版によって刊行した。15郡、163町・840村・5浦について、戸口・田圃・租税・山林・橋梁・池塘・牛馬・車輪・礦山・船舶・学校・駅逓・郵便・電線・山岳・原野・渓澗・島嶼・暗礁・港湾・河渠・神社・仏寺・古蹟・墳墓・人物・物産などについて詳細に記述している。
 第一巻は福岡・博多・糟屋、第二巻は宗像・遠賀、第三巻は鞍手・嘉麻・穂波、第四巻は上座・下座・夜須、第五巻は御笠・那珂・席田、第六巻は早良・怡土・志摩の各郡を収めた。

福岡藩御用帳(一)・(二)
 福岡藩では、18世紀初頭に藩政中枢の記録体系を整備し、藩主および藩主の家政にかかわる事項(御勤筋)と、領内の行政事項(御政治筋)とに分けて記録を作成する体制を確立した。御用帳は、そのうち御政治筋にかかわる家老の裁許を記録した史料である。明和元年からは、さらに家中・町郡浦・寺社それぞれの御用帳を作成するようになり、その各々の記事を分類・編集し、記録の利用に備えた。『福岡県史資料』に収録されている各「役所定」や「御仕立炭山定」を編集する材料にもなった藩政の基本史料である。
 残念ながら、その大部分は戦災で焼失してしまったが、焼失を免れた一部分が福岡県立図書館所蔵黒田文書の中に残っている。この2巻には、その中から宝永元年から同7年、安永10年から天明8年、天明2年、天明6年、天明8年、寛政元年から同9年の町郡浦御用帳を収録した。

各 論(一)・(二)
 福岡県の近代を多面的に、かつ総合的に解明することを課題とし、あわせて近代通史編の編集を準備することを目的として近代研究編各論を刊行した。
 各論(一)は、政治過程と政策、農業と企業活動、人とその時代、として政治、産業、人物の三分野に関する11編の研究論文を収録した。
 各論(二)は、政治、産業、社会、人物、の四分野に関する14編の研究論文を収録した。
 執筆者は広く全国にわたる気鋭の研究者であり、論文はいずれも近代の福岡県の諸問題を現代的視点から取り上げ分析したものである。
 福岡県の近代に関する研究は、分野によって濃淡があるが、総じて近世研究に比較すると遅れている。各論(一)・(二)の収録論文は、そうした状況を打開するための第一歩である。

久留米藩初期(上)・(下)
 上巻は、久留米藩家老有馬家(当主有馬泰生氏)に伝存されている「古代御直書写」(仮題)を翻刻したものである。これは初代藩主有馬豊氏・第二代藩主忠頼の発給書状を、その原形にしたがって収録した編纂史料である。
 下巻は、「古代日記書抜」(仮題)・「続古代日記書抜」(有馬泰生氏蔵)を収録した。これらの史料は、第三代藩主有馬頼利・第四代藩主有馬頼元時代に関する筆頭家老有馬内蔵助の執務日記である。収録に際しては、原史料が編纂されたときの原型を尊重して、年月日の錯簡があっても原史料の順序に従っている。また当該史料の翻刻に際して、黒岩家文書「古代日記書抜」写(黒岩信子氏蔵)を参照した。
 なお、上巻には久留米藩の成立と初期藩政、ならびに有馬内蔵助家の伝来文書についての解説、花押・印章一覧、編年目録、人名・地名索引、藩主有馬家初期系譜、家老有馬内蔵助家初期系譜などを付した。史料中の人名・地名には傍註を付した。

筑豊興業鉄道(一)(二)
 筑豊興業鉄道は、筑豊炭田の石炭を積出港である若松まで輸送することを目的として設立された、明治期の代表的な産業鉄道のひとつである。明治24年にまず若松・直方問が開通し、その後筑豊各地へとその路線を延長した。明治30年に九州鉄道と合併したため、筑豊興業鉄道会社は創立から10年、開業からは6年と非常に短命な鉄道会社ではあったが、この鉄道の建設により、筑豊の石炭輸送の中心は、限界を迎えつつあった遠賀川の水運から鉄道へと移った。筑豊は石炭輸送問題を克服したことによって、わが国最大の産炭地となり、北部九州の発展をささえてきたのである。
 (一)では同社の定款および明治30年に九州鉄道会社と合併するまでの冬期の営業報告書と株主名簿を収録した。(二)には会社史料として重役会決議録、株主総会関係史料、および政府の許認可関係文書を収録している。

細川小倉藩(一)〜(三)
 近世初頭の小倉藩主細川忠利家中の「日帳」・「覚書」を収録。この記録は元和・寛永期の惣奉行を主体とした藩政機構の中枢の日記で、当主忠利、隠居の父三斎忠興や親類・家老の動静。将軍家をはじめ、親近の諸大名との交際、音信贈答。佳例の年中行事、家中の動向。戦時に備えた絶えざる城郭の営繕、武具の整備。参勤・財政に必須の瀬戸内海・北前・長崎等往返のための大小船の新造・修繕、多数の船頭・水夫の管掌運営。領内検地・格付。所領・扶持の宛行、加増・改易。郡奉行による地方支配、年貢米等の免の増減・徴収、売買・算用。城下町人の生活。領内一円の警察、刑罸。試斬。全てを決裁する家老・諸奉行による惣談、忠利の親裁ぶり。先代三斎と当代との微妙な関係は、先駆的な目安箱の設置とその対処方にもあらわれている。当時盛んな金山の試掘、精錬、経営は佐竹秋田藩のそれに対応する貴重なものである。
 全冊を通じて、庄屋仕立てが巨大化したといわれる大名家政=藩政に、箍(たが)をはめる徹底した二人奉行(相使)制と常につけられる横目の監察が如実に感じられる。
 第一巻には「日帳」(寛永元〈1624〉年8月〜同5年5月)、第二巻には同じく「日帳」(寛永5年6月〜同7年6月)、第三巻には「日帳」(寛永7年8月〜同8年11月)、続いて同類の「覚書」(元和9年5月〜同10年4月)を収録した。

年代記(一)
 本書は旧筑前福岡藩領各地に残存する年代記をおさめる。
 年代記は簡潔に歴史的事件、事象を編年体に列挙した記録で、歴史の流れを大観して現在の自己を歴史的に認識するとともに、子孫へ伝えるべき大切な知恵であったと思われる。とくに村、町や家の文書、あるいは自己、近親者の体験や見聞、伝承に基づいて記述され、土地に根ざして記録されているために、たとえ小地域とはいえ年代的に一貫して歴史を見ることができる。支配者側の統治的史料その他の史料に全く見ることができない記述さえ見出すこともできるのである。
 本書第一巻には、藩全体として「筑藩御年譜集要抄」(小田文書)、志摩郡の「自天正寛文年間古記」(朱雀文書)、遠賀郡の「村用集」(大和文書)・「筑州鎮守岡郡宗社志」(九大附属図書館蔵)、鞍手郡の「萬年代記帳」(林文書)・「歳代記録」(古田文書)、糟屋郡の「尾仲邑記録」(藤木文書)、宗像郡の「年代記」(桑野文書)など近世前中期、福岡藩の東部・北部のものを収録・校註し、解題を加えた。

嘉穂銀行(一)(二)
 明治29年に設立された嘉穂銀行に関する資料のうち、現福岡銀行が所蔵する「嘉穂銀行重役会決議録」の明治29年から昭和2年までの分をおさめている。ただし明治30年から32年までの「決議録」は福岡銀行所蔵資料には含まれていないため、当該期間については、その一部を「麻生家文書」によって補充した。
 この「決議録」には、銀行の営業内容(個別の貸出しに対する可否、焦げついた融資の処理方法、有価証券の購入等)、行内規則の改廃、行内人事等銀行経営全般にわたる問題が記載されている。「決議録」としては比較的詳細に記述されており、戦前期の地方銀行の経営実態をうかがうことができる資料である。
 解題では、同資料の書誌的解説と同銀行の重役の変遷に関して解説した。
 (二)は(一)に引き続き「嘉穂銀行重役会決議録」のうち昭和3年から同20年までの分を収録した。この時期は昭和2年の金融恐慌、5年の昭和恐慌と続く日本経済の危機的な時期、さらに準戦時体制から戦時体制期をふくむ激動の時代であり、銀行経営も大きな影響を被った時期である。嘉穂銀行も不良債権の処理、利益水準の低下、経営体制の刷新、「一県一行主義」による県内銀行の合併・統合にと、矢継ぎ早の対応を迫られた時期であり、経営管理のための計数に関する報告が記載されるようになるなど、重役会決議録の内容にもその動きがヴィヴィッドに反映されている。
 さらに、本資料集には「大蔵省銀行検査答申書控」を併せて収録した。同答申書は昭和4年、7年、12年、14年に提出されている。内容は大蔵省からの質問事項に対する嘉穂銀行からの答申事項と附属諸表からなっており、当時の大蔵省が銀行経営のどの側面に関心を持っていたのか、ということを知ることが出来る。当局の関心事は、主として不良債権の処理と銀行経営の近代化にあったようであり、従って、嘉穂銀行が抱えていた不良債権の内容に関しては、「重役会決議録」よりも詳細な内容になっている点で興味深い。

福岡勧業雑誌
 本史料集は、福岡農事協会が発行した『福岡勧業雑誌』の第1号から第17号までを写真版によって復刻したものである。
 福岡農事協会は、明治19年1月に横井時敬らの福岡農学校関係者を中心に50余名の会員によって設立された農事研究団体であった。同協会は一九年四月から『福岡農事協会雑誌』を刊行したが、会員構成の半分が農学校関係者ということから、かれらの交流的機関紙としての性格が強かった。
 同協会がサロン的性格を取払い、県下老農多数の参加で600余名の会員数を誇る県下最大の農業団体に発展した明治24年に『福岡農事協会雑誌』は廃刊され、あらたに本史料集に収録した『福岡勧業雑誌』が創刊されたのである。この雑誌の創刊は県農学校から県勧業試験場につどった近代農学士らが、福岡県下の老農をその系譜に取込み、県勧業政策の主導権を握ったことを示す象徴的なできごとであった。その後の全国的な動きの先駆けとなったという意味で、この面でも福岡県の先進性が読み取れる。

筑前高取焼
 江戸時代に筑前鷹取山山麓の一帯で焼かれた高取焼は、江戸時代を通じて高い評価を得て、茶陶の窯として広く知られていた。近年の内ヶ磯窯の発掘は、それまで唐津焼とされていた作品の多くが内ヶ磯窯で焼かれた高取焼であることを明らかにした。これは伝世の作品の所属を変えただけでなく、高取焼そのものに対する評価を変えるものでもあった。ついで調査がおこなわれた永満寺宅間窯は、日常の器である作品が多く、素朴で力強く、いかにも桃山時代の窯である。また白旗山窯の出土品からは造形の美の追求から多彩な釉薬による瀟洒な作品へと変化しているのをみることができる。
 本巻は高取焼についての全般的な解説を付し、伝世品について、上記の窯のほか、山田・小石原鼓・大鋸谷・東皿山の各窯ごとに作品をカラー図版で収録し、解説を加えたものである。高取焼研究簡史、高取古窯址地図、年表を付し、巻末には英文の解説を加える。

林遠里・勧農社
 本史料集は、明治前期に先進的な福岡の農業技術普及のために全国的規模で活動した林遠里と、彼によって設立された勧農社に関する資料を編纂したものである。収録資料の主なものは、福岡市早良区重留の林道生家に所蔵されていたものである。
 第一編は林遠里関係としての彼の履歴書や著述、さらには各地でおこなった演説の筆記録などを収録した。第二編の勧農社関係では勧農社の社則、社員名簿、農場日誌、派遣実業教師の書簡などを収録した。
 この中で特に重要と思われるものは、実業教師が派遣地から遠里に宛てて出した書簡類である。本資料集編纂にあたっての林家の調査により、今回はじめて発見整理されたものである。実業教師みずからの具体的活動にとどまらず、明治中後期の派遣地の農事の実態をリアルに再現できるものも少なくない。

士族授産
 士族授産事業とは、明治維新によって世襲的な家禄・常職を失ったかつての武士の失業・貧窮を救済するため、主に政府が彼らに資金を貸付け、授産事業を奨励するとともに、国・地方の殖産興業をはかった政策である。その事業は開墾・養蚕・製糸業をはじめ、絣織・傘・製紙・紅茶・コークス製造などにおよび、福岡県下では少なくとも19の事業結社がみられた。
 本書は福岡藩・秋月藩・久留米藩・柳川藩・三池藩・豊津藩・千束藩・中津藩の旧藩士族および廃禄者に対する授産事業関係史料をおさめる。
 第一編は「公文録」「公文別録」等に所載の福岡県士族授産事業関係史料、第二編は福岡「筑陽社」・久留米「赤松社」関係史料、第三編は福岡県地方新聞士族授産関係主要記事集成、第四編は「福岡県勧業年報」所載の士族授産関係記事抄録からなる。
 これらは国会図書館、福岡県立図書館、九州大学、鶴久文庫、福岡県地域史研究所などが所蔵する史料によっている。また、詳細な解説を付している。

福岡藩 文化(上)・(下)
 本巻は小早川期以来の福岡藩全期を通した文化通史である。藩主・藩士層から一般民衆にいたる福岡藩の文化の諸相を、各部門別に詳述し、同時にこれらが近代以降の福岡県の文化を醸成する基盤になったという視点から、福岡藩域における近世文化を総括的に叙述した。
 全体は上・下2巻で6章からなり、第1章は小早川期・福岡藩全期の文化史総論として、第2章以下各部門で取り扱う対象を文化史全体の流れの中に体系的に位置づけた。第2章では「学問・教育」、以下第3章「宗教」、第4章「芸能」、第5章「文学」、第6章「建築と美術」の各部門史で構成した。下巻には略年表、索引を付して利用の便をはかった。

盲僧・座頭
 福岡県を発祥の地とする筑前琵琶の源流が盲僧琵琶であることはよく知られている。古来、盲僧は琵琶を弾きながら経典を読誦し、檀家を回って地神祭りや荒神祓いをおこなう一方、「くずれ」と呼ばれる語り物を語るなど、呪術と芸能が未分化な状態を保持しつつ活躍してきた。盲僧と座頭にかかわりのあった県内各地の寺社や旧盲僧坊には、そうした活躍のあとを示す貴重な史料が残されている。
 本巻には、支配寺であった京都青蓮院所蔵の「華頂要略附録 三十六」をはじめとして、一丸家文書、新有馬文書、橋口家文書、観音寺文書、感応院文書、宝聚寺文書、藤原家文書、下黒田宿神堂文書、長谷川家文書、大庭家文書等、近世・近代史料63点を収録した。付録として国武家文書の「くずれ」台本2本と解説を加えた。
 盲僧が継承してきた独自の地域文化を見直し、広く盲人問題の歴史的研究のための好資料を提供するものである。

八幡製鉄所(一)(二)
 本史料集は、新日本製鉄株式会社が所蔵する、官営製鉄所時代の御雇外国人関係史料である自明治三十年至三十四年『外国人関係書類』、および明治三十五年起『傭外国人関係書類』の2冊を復刻したものである。収録史料には製鉄所の建設や操業にかかわった外国人の雇用や処遇をはじめ、彼らの日常生活も含めた多岐にわたる貴重な文書・記録類が綴られている。この史料は、八幡製鉄所の歴史を語るだけでなく、福岡県の近代産業史の重要な史料であり、さらに日本の近代化の過程における外国技術の導入の実態を伝える得がたい史料でもある。史料には多くの欧文が含まれており、ドイツ人研究者との協力によって復刻し欧文史料編として収録した。独文(翻訳を付す)を含めた4点の解説を付している。
 (二)には『傭外国人契約書』と大正十一年起『傭外国人関係書類』の2冊を収録した。現在判明している限り、八幡製鉄所所蔵の御雇外国人関係としてまとまった史料はすべて収録したことになる。(二)の収録史料の内容は、そのほとんどが外国人との契約に関するものに限定されており、(一)の史料に多くみられた外国人の日本での生活を伝える記述はほとんどない。しかし、正本を含めて多数綴り込まれた契約書や関連史料には、雇用された外国人の母国での履歴や業績、契約にいたる経緯、あるいは帰国後の製鉄所との関係をうかがうことができるものもあり大変興味深い。
 (一)と同様に欧文史料編と、3点の解説を付し、さらに利用の便をはかるために編年欧文史料目録、および(一)(二)両巻の和文史料索引を掲載した。また別刷りで『大日本帝国製鉄所全図』を添付している。

自由民権運動
 本史料集は明治12年から18年までの、福岡県の自由民権運動に関する史料を、特に未刊の原史料の復刻に重点をおいて編集したものである。
 第一部の「諸結社史料」では、筑前の向陽社と筑前共愛会、筑後(久留米)では千歳会、筑水会を、さらに筑後(柳川)では有明会、白日会などの関係史料をとりあげた。筑後(柳川)では永江純一、渡辺村男旧蔵の一次史料を豊富に利用した。ただし、筑前は民権運動関係ではまとまった家文書がなく、玄洋社関係の史料も現状では乏しい。豊前の史料については史料集としてまとめうる程度には見いだせなかった。
 第二部「探聞書」は明治18年の警察内部の探聞報告書「国事ニ関スル報告綴」によるものである。
 第三部の「自由民権運動関係新聞記事」では西日本新聞の前身である筑紫新報および福岡日日新聞の記事を網羅的に採録した。巻末には人名索引を付して利便に供した。

労働乃九州(一)(二)
 『労働乃九州』は官営八幡製鉄所の有力労働組合であった同志会の機関誌で、『東洋タイムス』の続編にあたり、本書はその覆刻版である。『東洋タイムス』に関しては、(一)〜(四)(第10回、第11回、第14回、第16回配本)を刊行している。
 八幡製鉄所大争議(大正9年)後、創刊された『東洋タイムス』、同紙を引き継いだ『労働乃九州』からは大正デモクラシーの息吹が強く感ぜられると共に北九州に独自の地歩を築いた同志会の労働運動の足跡を追うことが出来る。
 本誌は全116号(大正12年11月20日〜昭和8年7月25日)が刊行されており、(一)には『東洋タイムス』からの通巻号数第123号から第148号まで、(二)には第150号(第149号欠号)から第173号(昭和2年12月)までが収録されている。

福岡藩 浦方(一)
 福岡藩は玄界灘・響灘の長い海岸線に点々と所在する浦々の生業・生活を支配したが、藩にとって上方はじめ各地との交易は重要であった。さらに長崎警備を隔年に担当したり、朝鮮通信使の来朝に応接する役割も担っていたために、浦から多数の水夫を徴発しなければならなかった。さらに外国船の漂流・漂着の取締りのこともあり、海や浦方への関心は深かった。
 本巻には、福岡藩の浦方全般にかかわる法令である浦役所定・同奉行法則を収め、また箱崎浦について同浦の山崎家文書・明石家文書により、天正4年以降寛政13年までの個々の文書を載せている。

福岡藩(一)(二)
 福岡藩(一)は、福岡藩の政治・経済・社会の歴史的展開を、黒田氏入部以前の小早川氏の筑前国支配からはじめ、藩祖黒田孝高、初代藩主長政から忠之・光之までの藩政、対外関係、藩領国の社会経済の進展を概観したものである。
 序章で近世西南日本における福岡藩の特質を概観し、第一編では小早川氏の筑前国支配、博多と町衆をうかがい、黒田氏については入部以前の播州・中津時代の動向を明らかにする。
 第二編は藩政の成立ついて中央政権との関係、各代の藩政の推移、成立期の石高制、知行制、財政、家臣団、秋月・東蓮寺両藩の分出、その家臣団を考察する。
 第三編ではバテレン追放令、鎖国令と博多、博多商人の後退をうかがい、長崎警備さらには朝鮮通信史来朝送迎にかかる諸問題をみる。
 第四編では、藩の都市政策と福岡・博多の町と町人のあり方、初期豪商の衰退と領内各地の小市場の展開をうかがい、村落について農民の支配体制、農民の広範な移動と村の確立過程、治水、利水、新田開発を考察する。さらに山林、被差別部落の形成、浦方のあり方と浦の産業、海運、陸上交通における街道・宿駅の警備を明らかにしている。
 福岡藩(二)では、18世紀における福岡藩の藩政、領国の社会経済等について叙述する。福岡藩(一)が対象とした17世紀が、藩体制の確立がはかられ、経済的にも飛躍的な発展がみられた時代であったとすれば、本書が対象とする18世紀の福岡藩は、享保の大飢饉などの大災害も発生し、政治、経済、社会の各方面において、大きな見直し、転換がはかられた時代であった。
 第五編は、第4代藩主黒田綱政から第10代斉清の襲封までの藩政について、支藩直方藩の動向や当時の東アジア世界の状況を含めて叙述している。第六編は福岡・博多を中心とする都市の社会構造の変化とそれに対する藩の支配の展開、都市商工業の発展と都市経済の担い手の転換、福岡・博多と福岡藩領内外との関係について明らかにしている。第七編は郡・浦に対する藩の支配のあり方とその変化を扱っている。ただし農業経営のあり方、農民の生活、産業経済の発展と在町の状況などは次巻であつかう。第八編は福岡藩における産業・経済の発展とそれを支えた貨幣経済、陸上交通、海運、河川交通の発展の状況について明らかにしている。

産業経済(二)
 本巻は、福岡県の産業・経済に関する通史で、対象とする時期は明治末・大正初年から昭和10年ころまでのおよそ25年間である。この時期に、福岡県の産業・経済は、官営八幡製鉄所に代表されるような重化学工業の躍進がみられるとともに、明治期に興隆をみた石炭産業がさらに発展をとげ、農業や在来的産業なども改良と工夫を加えて持続的な成長を図り、また多数の都市が競いあって発展をとげており、福岡県は全国のなかでも「経済雄県」としての地位を築いた。このような福岡県の産業・経済について、全体をまとめて詳細に叙述し、また分野ごとに通観するのは初めての試みである。
 本巻は、第1編総説(第1章)、第2編産業(第2章〜第10章)、第3編財政・都市(第11章〜第14章)という3編14章構成をとっている。産業に関しては、農業・農村社会、水産業、石炭鉱業、重化学工業、通信事業、電気事業、金融業、会社企業を取り上げている。

社会運動(一)
 第一次世界大戦後、日本の社会運動は暗い谷間の閉塞状況を脱し、いわゆる大正デモクラシーの潮流のなかで新たな地平を拓いていくことになる。
 福岡県における社会運動は、官営八幡製鉄所の大争議(大正9年)、いわゆる「溶鉱炉の火は消えたり」をはじめ全国的に注目される運動が数多く展開された。
 本書は、(一)福岡県無産政党運動史、(二)福岡県労働運動史、を記述内容としている。(一)は第一次世界大戦後から戦時体制期までの約25年間、(二)は第一次世界大戦後から日本労働総同盟第一次分裂(大正14年5月)前までの約8年間を対象時期としている。

産業経済(一)
 明治維新以降、日本の近代化が始動する頃は「鉄と石炭」の時代であった。わが福岡県は官営八幡製鉄所、筑豊、三池の両炭田を有し産業化の旗手としてその一翼を担ってきた。
 明治維新は前近代社会から近代社会への変革期であったが、福岡県における基礎構造の変容を産業経済の側面から明らかにすることが本書の意図するところである。
 編纂の時期は維新期から日露戦争後の頃までである。各分野における当該期の研究はほとんど進んでおらず、本格的な通史として編まれるのは本書が初めてである。
 明治前期、産業構造の中核であった農業の実態、工業県へと変貌していく過程での石炭、鉄道、金融の実情、県民の生活情況が記述される。

*福岡県史 価格表

前へ戻る
トップに戻る


福岡県史      発行 福岡県  編纂 一般財団法人西日本文化協会


前のページに戻る