写真・川上信也/文・嶋田絵里

 港を見下ろす山々に吹く風に乗って空に舞うハタ揚げとともに長崎に春が訪れる。
 「ハタ」とは、長崎では凧のこと。長崎の凧は、十文字の骨組みに菱形の和紙を貼り合わせた形である。この「ハタ」の糸にガラスの粉をつけた「ビードロヨマ(綯麻)」を仕込み、競って揚がる近くのハタに絡んで糸を切り合い勝ち負けを争う。
 長崎のハタは、南蛮貿易がさかんだった1600年ごろ、出島に上陸した乗組員から伝えられて民間に広まり、18世紀ごろからハタ揚げ合戦が始まったと言われている。毎年4月初めに行われるハタ揚げ大会は規模が大きく、夏の精霊流し、秋の長崎くんちとならぶ長崎の三大行事の1つである。
 そこで使われるハタを一手につくる、ハタづくり一筋40年のハタ職人が、風頭山のふもとに居を構える小川ハタ店・長崎ハタ資料館の小川暁博さん(67)。祖父の代から続くハタ店の三代目だ。
 小川さんのハタづくりは骨組みの竹を揃えるところから始まる。11月ごろ長崎県諫早市の山から伐り出した竹を自然乾燥させ、翌々年の1〜2月ごろに縦骨と横骨に整えていく。火で竹を温め、竹の油分と水分を抜きながら形を整えると軽くてしなやかな骨組みになる。3月になると、ビードロヨマの糸をつくる。ビール瓶などの破片を臼で挽いた粉状のガラスをご飯粒の糊で麻糸にくっつけ乾燥させ、これを3回繰り返す。
 ハタを飾る紋様は、縁起のいい「波に千鳥」「結千鳥」「明烏」や幾何学的な「横棒」「二重縞」がある。その型紙に合わせ、色染めの和紙を貼り合わせるのも工程の一つだ。
 「私が就職1年目のとき父が倒れ、四男の末っ子ですが急遽、長崎に戻って跡を継ぐことになりました。父が存命の間に技術を学ぼうといろいろ尋ねてはみたのですが、とにかく竹を数多く削れば身につくと言うだけでしたね。とくに和紙を染める絵具の配合には悩まされました。紺の深い青がでるように苦心しました」
 南蛮貿易船の乗組員として出島に滞在したインドネシア人によって伝えられたといわれる長崎のハタ。『長崎名勝図絵』には出島でのハタ揚げ合戦が描かれている。
 「インド、パキスタン、インドネシアなどに、インディアン・ファイターといって、長崎と同様に喧嘩凧の風習があります。彼らは凧のことを“パタ”と呼ぶのです」
 凧を「はた」と呼ぶのは古来の祭礼や軍事、通信などに使われたハタ(旗・幡・旌など)から転じたともされるが、長崎には長崎ならではの語源説があるようだ。
 異国情緒あふれる港町で、南蛮渡りのハタ揚げが今も変わらず春の訪れを告げている。

「春空に舞う長崎の風物詩」 長崎ハタ 小川暁博さん

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