写真・川上信也/文・嶋田絵里

 脊振の南麓、嘉瀬川水系名尾川が流れる佐賀市大和町名尾地区は、300年前から続く和紙の産地であった。昭和初期までは100軒近くあったという工房も現在1軒をのこすのみとなっている。
 カジノキ(梶の木)の樹皮を原料に、井戸から汲みあげる地下水に溶かして漉く丈夫なこの地域の和紙をつくるのは、名尾手すき和紙の谷口祐次郎さん。代々続く和紙づくりの当主である。
 「洋紙や紙の代替品が普及するまでは、各家それぞれで専門の紙をつくっていました。障子紙の家、包装紙の家、ちり紙の家などがあって、ウチは提灯用の紙をつくっていました」
 谷口さんがつくる名尾和紙は、コウゾ(楮)より繊維の長いカジノキの特性をいかした丈夫で強い紙で、いまでも博多祇園山笠の提灯や京都祇園祭の提灯に使われている。
 谷口さんが若いころ名尾地区で和紙をつくる家はすでに3軒ほどになっていたそうだが、それでも和紙づくりを続けてこられたのは、提灯の紙をつくっていたことが大きいという。
 「提灯の名入れ、家紋入れは、最後の仕上げです。竹ひごに紙をはり、その上から墨でスーッと書くのではなく、点点とたんねんに墨を入れながら書き継いでいきます。そのときに紙が破れてしまったら台無しですから、丈夫な紙ということで名尾の和紙が選ばれてきたのではないでしょうか」
 提灯の紙も含めた売り上げの80%を占めるのが、店舗や企業の要望を汲んだオリジナルの和紙。たとえば、明太子の老舗店からの注文で唐辛子が入った包装紙を製作。他にも酒造メーカーの日本酒のラベルには稲わらを入れるなど、手漉きならではの柔軟な対応で、それぞれの用途にふさわしい物語が感じられる紙をつくる。
 「就職した洋紙メーカーを辞めて、和紙づくりの家業を継いだのはバブル期でした。そのころ、ウチでは提灯用の生成り(素材)の紙しか作っていなかったし、会社をやめて家業を継ぐことを親には反対されました。最初は、観光地としてにぎわい始めていた三瀬峠の道にシートをひいて、渋滞で止まっている車に向かってみやげ用にと和紙ハガキなどを売りながら、徐々に名尾和紙の用途を開拓していきました」
 機械にはできないことも手漉きの和紙ならできる。他にも唐津くんちの山車などの文化財の修復や佐賀市内の中学校の卒業証書などにも使われている名尾和紙。江戸時代の製法でつくる名尾紙保存会も設立し、技術の伝承に努めている。今年の4月には、佐賀県の重要文化財に名尾紙が指定された。

※カジノキ(梶の木)…クワ科の落葉高木。神に捧げる木として神社境内に植えられることが多い。葉は七夕の短冊として使われていた。
「和紙からつくられる物語」 名尾和紙・谷口祐次郎さん

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