写真・川上信也/文・嶋田絵里

 土人形に願いや祈りをこめて飾る。古くから続く風習だ。とくに江戸時代以降、土人形は庶民の人形として土地ごとの信仰と結びつき、全国に生まれた。
 佐賀県神埼市神埼町の尾崎人形もその一つ。粘土がとれるこの地では、昔から陶業が行われ、盛んなときには3、40軒の窯元があり、瓦や日用雑器を焼いていたという。尾崎人形はたびたび廃絶の危機にあいながら、そのつど復活し、近年では平成2年(1990)に「尾崎人形保存会」の手によって再興された。蜷ュ廣さん(74)は、その保存会を作った人たちに後任を託され、いまではただ一人の尾崎人形師である。
 「伝承によれば、鎌倉時代の弘安の役で捕虜になった蒙古軍の兵隊が人形を作って吹き鳴らし遠い祖国を偲んだ。その技術が地元民に伝わったのが始まりと言われています」
 それを裏付けるように、ここには蒙古屋敷(元寇の役の際、捕虜となった蒙古人を収容した場所)と伝わる跡があり、その近くから古い尾崎人形が見つかった。また、神埼庄尾崎は、弘安の役の恩賞地として鎌倉幕府御家人、河野道有に与えられた土地であることが古文書(「豫章記」)に記載されている。
 「私が保存会の人たちに、尾崎人形作りをやってみらんね、と誘われたのはもともと父が肥前尾崎焼の職人で壺や火鉢などを焼いていたからだと思います。私は定年後からの人形作りで、最初は近くの九年庵などに置いてもらうくらいでしたが、佐賀の伝統工芸品や雑貨を扱う佐賀一品堂の城島正樹さんと知り合い、販路が広がっていきました」
 制作のようすをみせてもらった。土をこね、石膏で作った型に押し付ける。型からはずしたらはみ出た土をそぎ落とし形を整える。乾燥させて、800度の窯で6時間焼き、絵付けをする。乾燥しないように手を湿らせながら作業するため、蛯ウんの指は荒れて絆創膏だらけだ。
 「尾崎人形の種類は40種類ほどあり、鳩笛は『ててっぷう』といって子どもに人気があります。ほかにも、カチガラス、ムツゴロウ、赤毛の子守りなどが特徴的ですね。毎年、地元の小学校に教えにいきますが、子どもたちが自分で彩色した尾崎人形を宝もののようにして持って帰る姿を見るとうれしい」
 いまでは、全国、海外から人形を求めて人が訪れる。また、海外への発信も積極的に行う。昨年は、佐賀県の事業で、オランダへ行き、実演を行った。
 「土は、いま有田のものを使っています。人形の型も有田の職人が制作したものです。佐賀県の伝統工芸として、やきものの町の力を借りながら、尾崎人形が残っていってくれたらいいと思っています」



「弘安の役からつづく土人形」尾崎(おさき)人形・蜷ュ廣さん

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