写真・川上信也/文・嶋田絵里

 若戸大橋がかかる洞海湾の浜は、かつては開けていて、浜風が吹き、凧揚げに最適な場所だった―
 そう昔を懐かしむのは、まごじ凧工房の竹内義博さん(79)。約100年前、商店を営んでいた祖父・竹内孫次(まごじ)さんがつくるユニークなセミ凧はよく揚がると子どもたちに人気となり、「孫次凧」と名付けられた。いまでは福岡県の特産工芸品に指定されている。
 「祖父が作っていたころは、戸畑で凧づくりしていた人は何人もいましたよ」
 昭和43年、孫次さんが亡くなると、孫である義博さん(当時25歳)が凧の制作を受け継いだ。
 「凧づくりは小さいころから見ており、見よう見まねでできました。でもそのころ農協に勤めていたので、昼は会社勤め、帰ってきてから凧をつくっていました」
 絵付けを担当している娘の立石梓さんがそのころを振り返る。
 「朝、目覚めるともうすでにお父さんが起きて凧をつくっていました。仕事から戻るとまたつくりはじめ私が寝るときにもつくっているから、幼心に、お父さんはいつ寝ているんだろうと思っていました」
 孫次凧は、北九州産の竹(真竹と女竹)、四国産の和紙、綿糸を材料としてつくられる。しなやかな女竹を組んで形をつくり、真竹は芯棒やバネとして使う。形に合わせて切った和紙を張り、乾いたら食紅(食用色素)と墨で色をつける。平成24年までは義博さんの妻・日出子さんが筆で直接描いていた。日出子さん亡きあと、娘の立石梓さんがその技を引き継ぐ。
 「昔ながらのやりかたで、一つ一つ手作りしています。とくにいまは、干支(兎)を描いた凧づくりでもっとも忙しいときです」
 凧の種類はほかにも、地元の戸畑祇園大山笠の提灯山の凧やフグ凧など20種類ほど。
 「よく揚がる凧は、左右が対称であること。揚げ糸を多く付ければ安定はするけど凧が重くなる。小さな凧は軽いが風を捉えるのがむずかしく、大きな凧は重くて揚がるまでがたいへん。それぞれ違うのでおもしろいんですよ」
 新作の凧ができると、いまでも公園に行って凧を揚げて試しているという義博さん。凧づくりの名人は、凧揚げの名人でもある。
「祖父の思いのせ揚がる孫次凧」竹内義博さん・立石梓さん

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