写真・川上信也/文・嶋田絵里

 大晦日の博多では、正月の神棚を飾る起き上がり小法師を売りあるく、「おきぁがりゃい おきぁがりゃい よんべ(昨夜)生まれたおきぁがりゃい」の声が響いていた(『明治博多往来図会』)。新年になると、十日恵比須神社(福岡市博多区東公園)の正月大祭(1月8日〜11日)では縁起物の福笹を求める博多商人でにぎわった。
 曽祖母から続く博多張子の作り手の三浦隆さん(68)は、幼いころの当時の情景をよく覚えているという。
 「年末の起き上がり小法師売りが、うちにも買いに来ていましたよ。12月31日に、昔の軍隊用のリュックを背負って、それに入るだけ入れて売り切るとまた仕入れに来て。そして年が明けると、こんどは十日恵比須の大祭に露店を出し、福笹に博多張子の鯛や小槌、大判、千両箱など11種類の縁起物の飾りをつけて売っていました」
 戦前は、博多張子の福笹の露店が15、6軒あったというが徐々に数が減り、三浦さんの母親・水津哥さんの店が最後の1店となった。14年前、水津哥さんが亡くなったことで、いまでは正月大祭に露店を出す博多張子の店はなくなった。
 「中国から伝わった張り子は博多経由で大阪に伝わり普及したと言われています。一説では、江戸中期、茂吉という博多御用商人が上方(大阪)に行き、張り子づくりを学んだそうです。曽祖母はその茂吉さんから作り方を習ったと聞いています。代々、張子を作る仕事は女性の内職仕事でした。私は、母を手伝ううちに作り方を覚えました」
 博多張子は、素焼きの粘土で型をつくり、その型に、八女和紙二枚、間に新聞紙二枚を挟んだものを張りつける。2〜3週間かけて乾燥させたら型からはずして胡粉などで彩色する。型はダルマだけでも大きさが違うものなど何種類もあり、博多人形師らが作っていた。
 「祖父の弟(三浦さんの大叔父)・三浦茂助は、博多人形師でした。ですから、うちにある型は、茂助さんがつくったものが多いですね。とくにむずかしいのは、和紙を型に張りつけて表情を出すことです。引きの強い八女和紙にふのりで新聞紙を重ね張りし、ちぎって丹念に型に張りつけていきます。海藻で作る糊・ふのりだと和紙とのなじみもよいです」
 現在、博多張子は、おもに「博多町家」ふるさと館などで、土産物、子どもの玩具として販売されている。「博多町家」ふるさと館では、毎週火曜、博多張子の実演が行われており、三浦隆さん、河野正明さん(水津哥さんの一番弟子)、三好由美子さんが張り子の制作をしている。

「新年の縁起物」 博多張子・三浦隆さん

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