写真・川上信也/文・嶋田絵里

 シルクロードによって古代中国に運ばれ、海を越えて日本に伝えられたという弦楽器の琵琶。平安後期の11世紀、大宰権帥だった父の葬儀をすませ京へ帰る途中、筑前芦屋に立ち寄った源俊頼は、そこで法師が弾く琵琶の音に耳をそばだてた。聞こえてきた琵琶の音に「亡き父との日々を思い出した」という(私家集「散木奇歌集」)。
 そうした、はるかな想いが呼び起こされるかのように、遠い異国のイタリアからここ福岡市にやってきて、ラジオから流れてきた琵琶の音に魅了された人がいる。福岡でただ一人の琵琶製作・修復師であるドリアーノ・スリスさん(69)だ。
 「ラジオから聞こえる琵琶の音は、私が今まで聞いたことがない音でした。西洋楽器にはない、“さわり”がすごく不思議で、現代音楽、新しい音楽のようでした」
 イタリアのサンタ・チェチーリア音楽院でクラシックギターを学んでいたが、1974年27歳のとき来日。翌年、ラジオで偶然聞いた琵琶を求め、知りあいのつてを頼り紹介してもらったのが、当時、最後の筑前琵琶製作師で、その技術が福岡県無形文化財であった吉塚元三郎氏(1992年没)だった。
 「訪ねたときは、軽い気持ちで琵琶づくりを教えてほしいとお願いしました。そしたら、明日から来なさい、と。それから三年間は、ほとんど毎日朝から晩まで、そのあとの二年間もイタリア語の教師をしながら週に三回は通って修業しました」
 来日間もないドリアーノさんは、日本語もほとんどわからないまま、最初はひたすら見て学んだ。とくに吉塚氏の博多弁には悩まされたという。
 「琵琶の作り方と日本語を学ぼうと、吉塚先生が話している言葉をメモして家に帰り、辞書で調べても博多弁だから辞書に載っていないんです。道具の名前を尋ねると、先生は『ノコッタイ』と言って教えてくれるので、私は長い間、ノコギリのことを『ノコッタイ』と思っていました」
 琵琶修復の細かい技術も吉塚氏から学んだ。「修理と修復は違います。修理は、壊れた箇所を直すことですが、修復は元に戻すことです」とドリアーノさんは言う。たとえば、バチが当たる胴の傷は、修理だと表面を削って傷をとる。だがそれだと、胴の厚みが変わって琵琶の音色が変化してしまう。修復の場合は、胴に水を含ませた布を被せて専用のアイロンで温める。
 「結局、傷の溝は削れているんじゃなくて、バチが当たってへこんでいるだけだから、そこに蒸気と熱を加えて元に戻してあげるんです。丁寧に時間をかければ元に戻ります」
 表面のくすみも、カンナで削るのではなく、ガラス片でこそいでとる。一つ一つは細かいことだか、こういった職人の工夫・技を、元は宮大工職人であった吉塚氏から受け継ぎ、今ではドリアーノさんが、筑前琵琶のみならず肥後琵琶、平家琵琶、薩摩琵琶の修復を手がけている。

「琵琶の音に魅了されて40年」琵琶製作・修復師 ドリアーノ・スリスさん

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