写真・川上信也/文・嶋田絵里

 女の子の初正月に羽子板を、初節句には里方から雛人形が贈られる。博多では、女の子の誕生を祝って祖母から孫へ「おきあげ(置上)」〈押絵・おしえ〉を贈る風習がある。
 その「博多おきあげ」を、祖母・母・娘の三代で伝承するのが清水清子さん(2代目)、清水裕美子さん(3代目)だ。
 初代のマサさんは、久留米出身。博多に嫁いで「博多おきあげ」を作り続け、娘の清子さんに伝えた。
 「久留米にもおきあげの文化があります。久留米は、有馬藩の殿様が参勤交代で江戸から持ち帰った押絵のおみやげが広まったと言われます。桃の節句に飾られる日田の立ち雛も久留米のおきあげ文化が伝わったものだそうです」(裕美子さん)
 久留米のおきあげは、顔を描く専門の職人「面目(めんもく)師」もいたほど、大正時代まで筑後一円で盛んに作られていた。
 博多では、須崎町にいた画家・村田東圃の妻(千賀)が博多の町に広め、明治時代に誕生した櫛田裁縫女学校では、女性の手習いとして科目の一つになっていた。
 全国的には「押絵」と言われる、「博多おきあげ」の作り方は、次のようになる。
 @下絵制作 A下絵から各パーツの型をとる B型に合わせて生地を裁断 C型に綿をのせて生地で包む D各パーツを組み立てる
 「厚紙に構図を描いてデザインして、分解したパーツに綿を乗せて布で包んで盛り上げていくという工程になるんですけれども、九寸(約27センチ)の小さいサイズで20パーツ、大きなもので100パーツあります。生地には、飾り糸を用いて模様を織り込んだ金襴(きんらん)を使います。人形用の生地を京都まで行って自分の目で確かめて購入しています」(裕美子さん)
 下絵は、初代マサさんが描き残したものも含め100点以上あるという。生地もマサさんが集めた金襴を大事に残している。
 「初代の祖母は92歳で亡くなりましたが、つねに手を動かしていましたね。研究熱心で、新しい下絵を描いては、これどう?と私や母に聞いていました」(裕美子さん)
 現在は、おきあげの教室で生徒に博多おきあげの技を伝えながら、博多の伝統を守り続けているお二人。昨年の福岡アジア文化賞受賞者には、記念品として清水清子さん・裕美子さん制作の、歌舞伎の「藤娘」をモチーフにした博多おきあげが贈られた。

*参考文献:松尾由美子「博多のおきあげ(押絵)」『ふるさとの自然と歴史』第309号
「博多のおきあげ」 清水清子さん、清水裕美子さん

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