写真・川上信也/文・嶋田絵里

 熊本県人吉地域に伝わる「キジ馬」「花手箱」は、平家落人伝説が残るこの地で、椀や盆などの木製の生活用具を制作する木地師(きじし)が、子どもたちを喜ばせるため余技で作ってきた郷士玩具だ。キジ馬は、「ヨキ」と呼ばれる手斧一本の熟練の技で丸木を削ぎ落しながら形を整え、野鳥のキジの羽色を模して彩る。花手箱は全体を包みこむツバキの花の赤と葉の緑の対比があざやかだ。
 ヨキの技術の伝統を受け継ぐ住岡忠嘉さん(88)は住岡郷士玩具製作所の二代目。現在は息子で三代目の住岡孝行さん(46)ら家族でキジ馬・花手箱づくりを守り伝えている。
 「初代の私の祖父は仏師でしたが、キジ馬の再興をするためにキジ馬をつくり始めました。父は子どものころから祖父の手伝いをしていたので、ヨキ一つで、カンナのように木を薄く削ぐこともでき、細かい部分も簡単そうにヨキで切り落としています」(住岡孝行さん)
 キジ馬・花手箱は、昭和40年代ごろまで、毎年旧暦二月五Hに開かれる人吉の春の市で露店に並び、男の子はキジ馬、女の子は花手箱をみやげとして買って帰ったという。
 「人吉には二日町・五日町・七日町・九日町があり、毎年旧暦二月、その順に市が開かれていました。五日町で開かれる市を春の市といい、家の軒下を借りて、リヤカーで市に並べるもの、花とかダンゴとかを持ち運んで戸板に並べて売りました。そのころはキジ馬と花手箱を作っているところが四軒あったそうです。祖母がキジ馬と花手箱を春の市で販売している写真には、多くの人で賑わうようすが写っています」(孝行さん)
 小さな子どもが上に乗れるくらいの大きいキジ馬も昔はよく作っていたそうだ。
 「製材所では材料が手に入りにくくなり、山の持ち主から直接買い付けるようになりました。父は、木の自然の反りをそのまま利用してキジ馬をつくるので、一つ一つ個性があるのが特徴です」(孝行さん)
 昭和30年代には、人吉のキジ馬がスイスやアメリカなど外国に輸出されたこともある。また、熊本県の物産展として各地のデパートで販売していた時期もあった。現在は、卸売が中心だが、熊本県伝統工芸館や人吉の道の駅、ホテルでも販売をしている。
 「中学校の地域の文化を知ろうという取り組みで、木材採取からキジ馬を作るまでを教えに行っています。そのときは必ず、手斧での父の粗削りを見てもらうようにしています」
 山に暮らす人の手技と都ぶりの華やかな色彩が重なったキジ馬と花手箱は、球磨川流域のこの地で今も伝えられている。


「都ぶりの色彩の郷土玩具」キジ馬・花手箱/住岡忠嘉さん

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