写真・川上信也/文・嶋田絵里
ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスは、織田信長にコンペイトウが入ったフラスコ(ガラス瓶)を贈った。日本と西洋の出会いを象徴するような一幕にガラスが存在していた。――この場面に出てくる近世ガラスの製法は、ポルトガル人やオランダ人の技術者、また寛永年間、長崎に渡来した中国のガラス工が伝えたといわれ、その後、その製法が京都・大坂・江戸へ移って各地にびいどろ(ガラス)の技法が伝わったという。 *『長崎びいどろ』など参考
長崎の大浦天主堂やグラバー園に向かうグラバー坂に入る手前に、吹きガラスの工房・瑠璃庵(長崎市松が枝町)がある。代表の竹田克人さん(77)は、江戸期の長崎ちろりを復活したガラス工芸職人で、大浦天主堂のステンドグラスの修復にも携わった。
もともとは建築設計事務所で働いていたが、家がガラス屋(ガラス販売)をしていたことや長崎のおみやげとして並ぶガラス工芸が外国産しかなく地元で作られたものがなかったことから一念発起し、1981年、その年に開校した東京ガラス工芸研究所(神奈川県川崎市、現所在地は東京都大田区)に入学した。
「開校の前年に多摩美術大学でガラス工芸科が開設されるなど、ようやくガラス工芸の専門教育が受けられるようになってきたときでした。人間国宝・濱田庄司の四男、ガラス作家の濱田能生(1944-2011)先生に師事し、濱田先生の窯を見せてもらって窯のつくりかたから学びました。長崎に戻ると工房をつくりガラス製作を始め、主にステンドグラスの制作を行いました。」
大浦天主堂の修復では、長年のステンドグラス制作の知識を請われて修復現場に入った。
「大浦天主堂のステンドグラスの一部は1879年改築当時のもので、日本最古のステンドグラスと言われています。1990年の台風で破損したステンドグラスの修復では、フランス・サンゴバン社製ステンドグラスが使われて修復されました。木枠が経年変化しており、ステンドグラスをあてはめていくのがたいへんでしたね。」
吹きガラスで製作されたちろりやガラス食器などが並ぶ工房には体験で訪れる人も後を絶たない。2015年運行開始のJR九州観光列車「或る列車」で提供される食事を彩るガラス器としても瑠璃庵の器が使われている。現在、吹きガラスは主に息子の竹田礼人さんが担当し、長崎ガラスを伝承している。
「復活のびいどろ」 長崎ガラス・竹田克人さん