「国内製造の線香花火」みやま市・筒井良太さん
写真・川上信也/文・嶋田絵里
矢部川の支流・飯江(はえ)川沿い、一帯に青い稲穂が広がる田園の一角に玩具花火の工場がある。国内製造の線香花火をつくる筒井時正玩具花火製造所(福岡県みやま市)だ。
線香花火は、江戸時代から製造法が変わらない。
硝石と硫黄と松煙(松の煤・すす)を配合した火薬を短冊状の和紙にのせ、その紙を縒(よ)ってつくる。これが昔ながらの線香花火で「長手牡丹」。
約100年前にとくに関西・近畿で親しまれたのが、とかしたニカワに火薬を混ぜ、藁(わら=ワラスボ)の先につけ乾燥させてつくったのが「スボ手牡丹」だ。
戦前までは、全国で、何十軒という花火工場でつくられていた線香花火だが、戦後に中国から輸入されるようになると急速に国内生産が減り、昭和60年(1985)ごろには、全国に2か所のみ、どちらも八女の、荒尾火工と隈本火工でしかつくられていなかった。1990年代、その隈本火工に入り、消えゆく線香花火製造の技術を伝承したのが、筒井時正玩具花火製造所の代表・筒井良太さんだ。
「隈本火工はおじが経営していた会社でした。うちは、祖父から続く玩具花火製造所でしたが、線香花火はつくっていなかった。当時は、隈本火工が線香花火を国内で製造する唯一の工場でした。線香花火の火薬の配合、材料の宮崎県産松煙の取引先など、このときに教えてもらい、いまでも続けていることが多いです」
昭和60年ごろの資料を見ると、隈本火工には、当時、縒り手(紙に火薬をつめて縒る内職作業を行う人)が200人くらいいたという。
「筒井花火製造所では、現在約20人の縒り手さんがいます。月に一度、集荷日があり、そのときにここで縒りかたの講習も行います。地域のコミュニティの場になっています」
線香花火は、火薬に火がつき、燃えて火花が踊り、燃え尽きるまでの変化にそれぞれ「蕾」「牡丹」「松葉」「散り菊」と名前がついている。火薬の温度が上がり、ジャラジャラと最も盛り上がりを見せる「松葉」になるには、松煙に含まれる油分が重要だという。
「線香花火の材料は、すべて、捨てられていたもの、使われないものからつくられています。松を燃やして出る煤からつくられる松煙の松は、材木にならない根の部分。根は油分が多くていい煤を出すんです。それから藁は、使い古された藁箒を再利用して使っていました。ですが、いまでは松煙も藁も貴重な材料で入手するのがむずかしくなっています」
筒井時正玩具花火製造所では、玩具花火の火薬を入れる筒の紙は古新聞を使っている。藁の線香花火を立てておく道具は、隈本火工で使っていたものを譲り受けた。筒井良太さんの、ものを最後まで使いきる、その精神も、八女の手仕事職人から譲り受けているのだろう。